役小角(行者窟) ― 2013/01/06 16:20
都旧跡 役行者窟(えんのぎょうじゃくつ)
役行者は役小角(えんのおづぬ)ともいい、奈良時代の呪術者であり、山伏(修験道(しゅげんどう))の開祖とされている。その能力をねたんだ韓国広足(からのくにひろたり)に訴えられ、世を惑わす妖言をなしたという理由で大島に流罪となる。『続日本紀(しょくにほんぎ)』(794年成立。日本書紀に続く六国史の2番目)によると、文武(もんむ)天皇3年(699)5月24日に「役小角流下伊豆嶋」とある。当時の伊豆嶋は伊豆大島のことをさしている。行者は、昼はこの行者窟に住んで修行し、夜になると富士山へ飛んで修行し赦免を願ったという。3年後に許されて都へ帰り、それ以後諸国の峰々を巡ったので、日本各地の霊山幽谷に行者の足跡を伝える伝説が残っている。また、江戸時代の寛政11年(1799)には、時の光格天皇から「神変大菩薩」の諡号(しごう)が贈られている。洞窟内の行者の石像は、僧衣をかぶり、右手に錫杖、左手に経巻を持ち、高下駄を履いている。現在、行者窟の入口には、平成2年6目17日に崩落した大きな岩がそのままになっており、洞窟への通路も手すりが腐ってなくなったままで、立入禁止となっている。
【役行者窟(えんのぎょうじゃくつ)】
【大島公園方向から行者浜~行者トンネル】


【行者トンネル内】

【行者浜】
【ブイ】

『追加』
平成25年6月15日(土曜日)待ちに待った『行事祭り』です。ここ1週間は、台風3号の影響で天候不順、悪天候のでした。そんな天候だと、行者窟まで行くことができません。ところ、晴れました。やはり役小角の神通力なのか、カラリと晴れ上がりました。
【行者祭】このお祭りは、伊豆大島で海の安全や大漁を祈願する「行者祭」と呼ばれる伝統的な祭りです。ホラ貝の音を合図に集まる白装束に身を包んだ人々。これは、山岳信仰の修験道の開祖とされる「役の行者」を祀り、護摩を焚くお祭りで海の安全や大漁を祈願し、毎年6月15日に行われています。護摩段の前に整列した信者たちが一斉にお経を唱え始めると、集まった参加者が護摩木を投げ入れます。関連ニュースは、http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5358560.html(TBS news i)
【行者浜】

【護摩焚き】




【ご神体】
【いよいよ、行者窟へ】
【遊歩道が崩壊しています。】
【行者窟】
【行者窟】

このあと、空を飛ぼうとしましたが、飛べませんでした。やはり普通の人間でした(笑´∀`)
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